幸せを求めない

「何もない、普通の生活」が最も「幸せ」なのであり
「幸せ」という現象を求めている間は
「幸せ」を感じることができない。
かつて講演会に「10年ほど偏頭痛で苦しんでる」という女性がいらっしゃったことがあります
いろいろな治療を全部やったけど、治らなかったそうです。
「いまも痛い」ということでしたから、私は尋ねました。
「もしその偏頭痛が治ったら、どんな感じでしょうか?」
「この偏頭痛がなくなるんだったら、全財産をだしても惜しくないくらいです」
ところが、会の終わりにハグしたら彼女はこう言いました
「あら、どうしたんだろう。痛くない!」
どういうわけか、彼女の偏頭痛はなくなってしまいました。
満面の笑みを浮かべて「本当にありがとうございました」と言って帰っていきました
私たちは誰もが偏頭痛を患っているわけではありません。
でも、彼女はずっと苦しんできたからこそ、それがない”当たり前の状態”に
「幸せ」を感じる事ができたのです。
私たちは「問題がない状態」を”当たり前”と考えているから「何もない普通の生活」
という「幸せ」の極にいるのに、その「幸せ」を認識できないのではないでしょうか。