海の幸、海の苦しみ

「海の幸」を認識できず、海の中にいながら
「幸せを見たい」「海を見たい」と叫んでいると
神さまはその願いを叶えてはくれるが、
「釣り上げられた魚は」は「海の苦しみ」を
味わうことになる。
海の中に住んでいる魚は、海全体の姿をみることは
ありません。海の外に出てみてはじめてその姿が
わかるのですから、それは当然です。
あるとき、いつも「海ってどんなものだろうか」と
かんがえている魚がいました。
防波堤の上にいる生き物がいつも海の話をしています
彼らはいつも糸と針を垂らしているから
それにかかれば、ひょっとしたら海を見せてもらえる
かもしれない・・・・・。
そう考えていた魚は、自分から針にかかって
釣り上げられてしまいました。
自分の体が海から離れ、下を見た時、魚ははじめて
海というものを見ます。
「これが海か。こんなに広く大きくて美しいものだったんだ」
同時に海というものを知ったのはいいのですが、
その瞬間は魚にとって大変つらい状態です
魚にとっては海の中にいる状態こそが幸せ。
これが「海の幸」ということです。
しかし「海の幸」の状態にいるときは、その「幸せ」に
気づけません。だから「そこからでていきたい」と
思うんですが、そこには大きな苦しみが存在しています。
これが「海の苦しみ」です。
「海がみたい」との希望を叶えてくれたのが「神」でした
著者不明
でも願いが叶ってよかったと私は思う、海の苦しみも覚悟のうえさ
by 榮