生きざまを見せることで誤解を解く
誤解されているときにはこれからの
「生きざま」を見せることで誤解を解く
「いつかはわかってくれる」と信じられれば
弁解や言い訳がずいぶん減っていく

忠臣蔵の「四十七士」の中に神崎与五郎という人がいます
彼は浪人になってから「美作屋善兵衛」と名乗り
吉良家の内情を探っていました
ある日、屋台で隣り合わせた町人に「あんたは、元は
おさむらいだね。どこの国のひとだね」と尋ねられた与五郎は
「播州(赤穂)だ」と答えました
当時は「浅野家の家臣たちがあだ討ちをするのではないか」と
いうのが町の噂になっていて、町人も「きっとやってくれるん
だよな」と与五郎にからみます
むろん討ち入りの準備は進んでいました
しかし四十七士には「決して計画を人に話さない」という誓いが
ありますから「いや、主君のあだ討ちなど誰もそんなことは
考えていない」と答えるしかありません
「意気地のない話だ」と彼の名前をきいた町人は
お酒の勢いもあり与五郎の頭に冷や酒をドボドボかけ
「それこそ寒酒もよかろうだ」という言葉を残して
店を出ていきました
その後吉良邸に討ちはいって切腹を命じられた四十七士の中には
もちろん与五郎もいました。
町人は墓前に頭をこすりつけて謝り一生彼の墓の世話を
したそうです。
”生きざま”を見せる事で与五郎は誤解を解き
町人に「わかってもらった」のでした。
著者不明