二つの思い
「思い」を持つことで悩んだり苦しんだりしたとき
ふたつの方法が見えてくる。
一つ目は、努力し、頑張り、必死になって
なんとしてでも自分の思いを実現する、という方法
二つ目は「思い」をはじめから持たない、という方法
人間の悩み、苦しみ、煩悩というものは、自分の「思い」を
「実現させたい」と執着するところからはじまっているように
思います。
その「思い」が簡単に実現するようなものであれば
問題はありませんが、それが高いところ、遠いところに
あればあるほど、それが良い目標であり、望ましいことで
あると人は考えがちです。
しかし「それをなんとか実現させたい」と思うから
人は苦しみ、それができなくて自己嫌悪になったり
落ち込んだりします。
それでも「目標を追う」というのは一つの解決方法ですが
もう一つの解決方法は「思い」自体を持たないこと。
私たちは、教育の中で目標を持つこと、そこに向かって努力し
邁進することが人間の価値であり、そうしないやつは
クズだと言われてきました。
そうではないと私は思います。
人間がこの世に生を受けた目的は、自分の努力目標に
向かってそれを達成することでなく、
ただ「喜ばれる存在になること」だとしたら
「思い」に引きずられるのでなく、ただ「人から喜ばれる」
ことに徹するだけでもいいのではありませんか。
著者不明